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仙波東照宮

 

仙波東照宮・川越八幡宮 両神社の
斎主を務める榊原茂宮司(神職身分浄階一級)
家光公誕生400年記念
徳川 宗家十八代当主参拝

 



 
仙波東照宮社殿でのご祈祷ご祈願、
承っております。(要予約)
TEL:049-222-1396



※その他・葵紋入
 御守りもございます。

仙波東照宮葵紋交通安全守[各800円]
<写真提供 中沢 博 氏>

<鎮座地> 埼玉県川越市小仙波町1−21−1 地図
<御祭神> 徳川家康公
<祭  典> 1月17日、4月17日、8月17日

仙波東照宮は、喜多院第二十七世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものである。家康公は、元和二年四月十七日七十五才で薨去されると、一旦、静岡県の久能山に葬られたが、公の遺言に従って、二代将軍秀忠は、元和三年亡父家康公の遺骸を更めて日光に移葬しました。その時久能山から日光に至る道中、同年三月十五日出発して、継々と道中の各宿に泊り泊りして、同二十三日仙波喜多院の大堂(薬師堂、のち東照宮本地堂とも云った) に到着した。此所で天海僧正は親しく導師となって、同二十六日まで、実に四日間、衆憎を集めて、丁重な法要を厳修した。この長い法要を済して、次宿行田忍に御送りして後、天海僧正は家康公在世の渥恩を謝せんが為、且つ遺柩止留の跡として、家康公の像(高さ八寸八分)を作って、大堂に祀ったのが、元和三年九月十六日で、東照宮の初めである。
 かくて天海僧正は、この東照宮を広く大方の皆様に崇拝して貰う為め、現在のこの地に高さ五間の丘陵を築きあげて、立派な社殿を造って、寛永十年十一月十六日遷祀した。同年十二月二十四日後水天皇は宸翰御神号として「東照大権現」の勅額を下賜されました。ところが寛永十五年一月二十八日、川越街に大火起り、仙の神社、堂塔、門前屋敷まで延焼してしまった。之を聞いた三代将軍徳川家光は、直に東照宮再建の計を立て、同年三月川越城主堀田加賀守正盛を造営奉行に命じ、天海僧正を導師として、寛永十七年五月竣工したものが現在の社殿である。この時以来、社殿並に神器等は総て幕府の営む所となったが、もともと自祭であって、祭資を頂かなかったので、喜多院第二十九世住職周海僧正(天海の高弟)は祭典の完備を期して、寛文元年松平伊豆守信綱(川越城主)を介して以聞、同年三月、四代将軍徳川家綱は、大仙彼の地二百石を祭資に供せられた。爾来幕府の手で属々修理を加えられたが、弘化四年が最も大修理であった。かくて明治二年諸領一般上地の令に依て社領を奉遷し、逓減割となり、同年又神仏分離令があって、爾来喜多院の管理を離れた。


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